大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 平成6年(オ)1905号 判決 1995年12月15日

上告人

岡本ウメ子

岡本稔

右両名訴訟代理人弁護士

長戸路政行

伊藤廣保

被上告人

田中トキ

田中忠男

右両名訴訟代理人弁護士

上野操

伊藤嘉健

伊東卓

主文

原判決中、上告人らの被上告人らに対する第二次的及び第三次的請求に係る部分を破棄し、右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。

上告人らのその余の上告を却下する。

前項に関する上告費用は上告人らの負担とする。

理由

一  上告代理人長戸路政行の上告理由について

1  上告人らの第二次的請求は、田中亀吉(上告人ウメ子の父)による昭和三〇年一〇月三日の本件土地の占有をその起算点とする期間一〇年又は二〇年(昭和四二年一月初旬に上告人らが占有を承継)の取得時効の成立を理由として、被上告人らに対し、各持分移転登記手続を求めるものであり、第三次的請求は、上告人らによる昭和四二年四月三〇日の本件土地の占有をその起算点とする期間一〇年又は二〇年の取得時効の成立を理由として、被上告人らに対し、各持分移転登記手続を求めるものである。

原審は、(1) 本件土地の当時の所有者であった田中倉太郎(被上告人トキの夫謹一の父、被上告人忠男の祖父)と亀吉(倉太郎の弟)との間で、昭和三〇年一〇月に本件土地と亀吉所有の五八九番の土地との交換契約が成立したと認めるに足りないこと、及び亀吉が上告人らに対し、昭和四二年一月に本件土地を贈与したと認めるに足りないことを理由に、亀吉による昭和三〇年一〇月ころの本件土地の占有の開始が交換契約により所有権を取得したと認識した上のものであると認めるに足りず、上告人らによる昭和四二年四月ころの本件土地の占有の開始も贈与契約により所有権を取得したと認識した上のものであると認めるに足りないとし、また、(2) 亀吉及び上告人らは、本件土地につき、登記簿上の所有名義が倉太郎又は謹一にあり、亀吉に移転していないことを知りながら、その移転登記手続きを求めることなく長期間放置し、本件土地の固定資産税を負担することもしなかったなど、所有者としてとるべき当然の措置をとっていないことを総合して考慮すると、亀吉および上告人らには本件土地を占有するにつき所有の意思がなかったというのが相当であると判断した。

2  しかしながら、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

民法一八六条一項の規定は、占有者は所有の意思で占有するものと推定しており、占有者の占有が自主占有に当たらないことを理由に取得時効の成立を争う者は、右占有が所有の意思のない占有に当たることについての立証責任を負うのであるが、右の所有の意思は、占有者の内心の意思によってではなく、占有取得の原因である権原又は占有に関する事情により外形的客観的に定められるべきものであるから、占有者の内心の意思のいかんを問わず、占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を取得した事実が証明されるか、又は占有者が占有中、真の所有者であれば通常はとらない態度を示し、若しくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかったなど、外形的客観的にみて占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情(このような事情を以下「他主占有事情」という。)が証明されて初めて、その所有の意思を否定することができるものというべきである(最高裁昭和五七年(オ)第五四八号同五八年三月二四日第一小法廷判決・民集三七巻二号一三一頁参照)。

これを本件についてみると、原審の(1)の判断は、亀吉又は上告人らの内心の意思が所有の意思のあるものと認めるに足りないことを理由に、同人らの本件土地の占有は所有の意思のない占有に当たるというに帰するものであって、同人らがその性質上所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を取得した事実を確定した上でしたものではない。

原審の(2)の判断は、亀吉及び上告人らが本件土地の登記簿上の所有名義人であった倉太郎又は謹一に対し長期間にわたって移転登記手続を求めなかったこと、及び本件土地の固定資産税を全く負担しなかったことをもって他主占有事情に当たると判断したものである。まず、所有権移転登記手続を求めないことについてみると、この事実は、基本的には占有者の悪意を推認させる事情として考慮されるものであり、他主占有事情として考慮される場合においても、占有者と登記簿上の所有名義人との間の人的関係等によっては、所有者として異常な態度であるとはいえないこともある。次に、固定資産税を負担しないことについてみると、固定資産税の納税義務者は「登記簿に所有者として登記されている者」である(地方税法三四三条一、二項)から、他主占有事情として通常問題となるのは、占有者において登記簿上の所有名義人に対し固定資産税が賦課されていることを知りながら、自分が負担すると申し出ないことであるが、これについても所有権移転登記手続を求めないことと大筋において異なるところはなく、当該不動産に賦課される税額等の事情によっては、所有者として異常な態度であるとはいえないこともある。すなわち、これらの事実は、他主占有事情の存否の判断において占有に関する外形的客観的な事実の一つとして意味のある場合もあるが、常に決定的な事実であるわけではない。

本件においては、原審は、亀吉又は上告人らの本件土地の使用状況につき、(ア) 亀吉は、それまで借家住まいであったが、昭和三〇年一〇月ころ、本件土地に建物を建築し、妻子と共にこれに居住し始めた、(イ) 亀吉は、昭和三八年ころ、本件土地の北側角に右建物を移築した、(ウ) 亀吉は、昭和四〇年八月ころ、移築した右建物の東側に建物を増築した、(エ) 上告人ウメ子と結婚していた上告人稔は、昭和四二年四月ころ、亀吉が移築し、増築した建物の東側に隣接して作業所兼居宅を建築した、(オ) 上告人稔は、昭和六〇年、亀吉が移築し、増築した建物と上告人稔が建築した作業所兼居宅とを結合するなどの増築工事をして現在の建物とした、(カ) 倉太郎又は謹一は、以上の亀吉又は上告人稔による建物の建築等について異議を述べたことがなかった、との事実を認定しているところ、亀吉は倉太郎の弟であり、いわば亀吉家が分家、倉太郎家が本家という関係にあって、当時経済的に苦しい生活をしていた亀吉家が倉太郎家に援助を受けることもあったという原判決認定の事実に加えて、右(ア)ないし(カ)の事実をも総合して考慮するときは、亀吉及び上告人らが所有権移転登記手続を求めなかったこと及び固定資産税を負担しなかったことをもって他主占有事情として十分であるということはできない。なお、原審は、本件土地の固定資産税につき、倉太郎らに対していつからどの程度の金額が賦課されていたのか、亀吉又は上告人らにおいていつそれを知ったのかについて審理判断していない。

3  以上の次第で、原審の右(1)、(2)の判断は、所有の意思に関する法令の解釈適用を誤った違法があり、ひいて審理不尽、理由不備の違法をおかしたものであり、右違法は、原判決のうち上告人らの被上告人らに対する第二次的及び第三次的請求に係る部分の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

論旨は、右の趣旨をいうものとして理由があり、原判決は右部分につき破棄を免れない。そこで、更に審理を尽くさせるため、右部分につき本件を原審に差し戻すこととする。

二  本件上告について提出された上告状及び上告理由書には上告人らの被上告人らに対する第一次的請求に係る部分についての上告理由の記載がないから、右部分については適法な上告理由書提出期間内に上告理由書の提出がなかったことに帰する。そうすると、右部分についての上告は、不適法であるから、これを却下すべきである。

三  よって、民訴法四〇七条一項、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一 裁判官福田博)

上告代理人長戸路政行の上告理由

第一、取得時効について。

(一) 控訴審判決は、その第三の二、において次のように判断している。すなわち、

○ 交換や贈与によって亡亀吉や上告人らが所有権を取得したと認識した上で占有を開始したとは認められない、

○ 亡亀吉や上告人らが本件土地所有権移転登記手続を求めたこともなく、土地固定資産税も支払っていない、

○ 右の理由により亡亀吉や上告人らには「所有の意思」はなかった。

(二) 控訴審判決の右判断は、最高裁昭和五七年(オ)第五四八号、昭和五八年三月二四日第一小法廷判決(判例時報一〇八四号六六頁)を意識したものと思われる。しかし、右控訴審判決は右最高裁判決を誤解し、かつ、右最高裁判決に違背している。その理由を次に分説する。

(三) 右最高裁判決は次のように述べている。

「原判決は、被上告人は太郎からいわゆる「お綱の譲り渡し」により本件各不動産についての管理処分の権限を与えられるとともに右不動産の占有を取得したものであるが、太郎が本件各不動産を被上告人に贈与したものとは断定し難いというのであって、もし右判示が積極的に贈与を否定した趣旨であるとすれば、右にいう管理処分の権限は所有権に基づく権限ではなく、被上告人は、太郎所有の本件各不動産につき、実質的には太郎を家長とする一家の家計のためであるにせよ、法律的には同人のためにこれを管理処分する権限を付与されたにすぎないと解さざるをえないから、これによって被上告人が太郎から取得した本件各不動産の占有は、その原因である権原の性質からは、所有の意思のないものといわざるをえない。また、原判決の右判示が単に贈与があったとまで断定することはできないとの積極的判断を示したにとどまり、積極的にこれを否定した趣旨ではないとすれば、占有取得の原因である権原の性質によって被上告人の所有の意思の有無を判断することはできないが、この場合においても、太郎と被上告人とが同居中の親子の関係にあることに加えて、占有移転の理由が前記のようなものであることに照らすと、その場合における被上告人による本件各不動産の占有に関し、それが所有の意思に基づくものではないと認めるべき外形的客観的な事情が存在しないかどうかについて特に慎重な検討を必要とするというべきところ、被上告人がいわゆる「お綱の譲り渡し」を受けたのち家計の収支を一任され、農業協同組合から自己の一存で金員を借り入れ、その担保とする必要上太郎所有の山林の一部を自己の名義に変更したことがあるとの原判決挙示の事実は、いずれも必ずしも所有権の移転を伴わない管理処分権の付与の事実と矛盾するものではないから、被上告人の右占有の性質を判断する上において決定的事情となるものではなく、かえって、右「お綱の譲り渡し」後においても本件各不動産の所有権移転登記手続はおろか、農地法上の所有権移転許可申請手続さえも経由されていないことは、被上告人の自認するところであり、また、記録によれば、太郎は右の「お綱の譲り渡し」後も本件各不動産の権利証及び自己の印鑑をみずから所持していて被上告人に交付せず、被上告人もまた家庭内の不和を恐れて太郎に対し右の権利証等の所在を尋ねることもなかったことがうかがわれ、更に審理を尽くせば右の事情が認定される可能性があったものといわなければならないのである。そして、これらの占有に関する事情が認定されれば、たとえ前記のような被上告人の管理処分行為があったとしても、被上告人は、本件各不動産の所有者であれば当然とるべき態度、行動に出なかったものであり、外形的客観的にみて本件各不動産に対する太郎の所有権を排斥してまで占有する意思を有していなかったものとして、その所有の意思を否定されることとなって、被上告人の時効による所有権取得の主張が排斥される可能性が十分に存するのである。」

(四) 右最高裁判決をみると、その事案は、農家の父親とその長男とが同居しており、父親死亡後、長男は「父親居住の不動産や山林を生前贈与されており、それが認められないとしてもその時から一〇年経過したとき時効で長男が所有権を取得した」と主張して他の相続人たる弟や妹達と争ったものである。

右の要点は所有の意思の有無にあったが、問題は、なるほど長男は右の不動産を単独で占有しており、その意味では占有者に所有意思ありと推定されるけれども、しかし、父親も長男もそれ以前から同居しており、換言すれば長男は以前からずっと占有を継続しており、その意味ではこの長男の占有には、「他人の所有権を排斥して自己独自の占有を開始した」という背景(外形)を認めることができない事案であったのである。

右最高裁の事案は右の如きものであったから、それ故、右最高裁判決は占有による所有権の推定に相対的に弱い力しか認めず、むしろ、推定を覆す反証の有無に重点を置いている。そして、その反証として、「占有者が占有中に真の所有者であれば通常はとらない態度を示したか否か」とか、「占有者が真の所有者であれば当然とるべき行動に出たか否か」を吟味すべきであるとしている。

(五) しかし、本件においては、亡亀吉や上告人らの占有は、それ以前から継続されていた占有ではなく、まさに、上告人らの主張する交換契約を契機として開始された占有であり、その意味では、「所有の意思が占有に関する事情によって外形的客観的に定められる」と断じ得る事案である。

(六) 本件第一審判決の添付図面(一)ないし(五)をみれば明らかな如く、亡亀吉(右図面(一)、(二)、(三)の各建築)や上告人ら(右図面(四)、(四)の各建築)は本件土地上に建物を建築することによって本件土地の占有を始めており、それは、まさに、「外形的客観的に所有の意思を推定できる」事案である。

したがって、右推定を覆す反証は相当強力な反証でなければならない。確定的な反証である必要がある。すなわち、本件の如き事案では、本件控訴審判決の言うような「亀吉ないし控訴人らが所有者として取るべき当然の措置を取っていない事実を総合して考慮すれば、亀吉ないし控訴人らには所有の意思がないと認めるのが相当である」という判断は、やはり前記最高裁判決の真意に違背していると考えられる。

本件の如き事案では、占有による所有権の推定を覆す反証は確定的な効力を持つものであるべきである。具体的にいうなら、

(イ) 亀吉と謹一との間で五八九番の土地を含む五筆の土地の売買が行われたことを示する相当、強力な証拠があるか、

(ロ) 亀吉が本件土地の使用賃借上の地位をもって五八九番の土地と交換したことを示する相当、強力な証拠があるか、

ということである。

しかるに、本件控訴審判決では、右の(イ)については、「五筆の土地の売買をしたと認めることに疑いを差し挟む余地がないわけではない」(三枚目裏)としており、右の(ロ)については、「亀吉はこの使用貸借上の地位をもって五八九番の土地との交換と理解していた可能性もあること」(同じく三枚目裏)と判断している。そして、「右事情を考慮すると、右五筆の土地の売買契約に対する前記の疑問点は説明が可能で、右売買契約を認めることに特段の不合理な点はない」と結論している。

右は種々の事情や背景を総合して売買契約の成立につき「説明可能」としたものであり、これでは推定を覆す反証としては弱いものと言わざるを得ない。

(七) 以上、要するに、原控訴審判決は、所有の意思を否定して上告人らの主張する取得時効の成立を否定しているが、しかし、これは前記最高裁判決の趣意に反するものであり、破棄されるべきものと思料します。

第二 <省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例